半径3メートルのラオス

ラオスでの日常や、その他のいろいろなことをブログに書いていきます。

ラオスのアパートについて

最近、誤算に気がついた。

ラオスに来る際に、暖かい服をひとつも持ってこなかったことだ。

ここ数日で急に冷え込み、最低気温は10度を下回るようになった。

ありったけの服を重ね着してしのいでいるが、私のアパートについているエアコンは冷風しか出ないので、

これ以上寒くなるとつらいなあと感じている。

 

 

私のアパートだけど、こちらに来てすぐに見つけた部屋に住んでいる。

とてもキレイで、ガードマンもいて、お掃除さんが部屋を掃除してくれる。本当に最高。

こんないいアパートに住めて、なんて幸せなんだろう!と毎日思っていた。

 

しかし、数日前、ずっと入居者を募集していた隣の部屋に人が入って来て、少々事情が変わった。

家にいると、何やら話し声が聞こえる。

おや?どこから聞こえるのだろう?と、外を見ても、誰もいない。

おやおやー?まさか…と思いながら、壁に耳をあててみた。

 

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そうすると、壁越しに、隣の人の話し声がかなりはっきりと聞こえてくる。外国語だ。

やばい。思ったより壁薄いな。

とその時思っていた。

 

そしてその日の夜、寝室で寝ようとしていたときに気がついた。

私のベッドは、隣の部屋と仕切られている壁に頭の部分がついている。

アパートの構造上、その壁を隔てた向こうに、隣人のベッドの頭の部分もついているはずだ。

ということは、寝るときは、距離にすれば私の頭から数十センチ程度のところに、お隣さんの頭があるんだ。

それって少々気味が悪いな、と思っていると。

 

壁の向こうから、「ガチャ」「バタン」とドアを開閉する音、それに続き

「ゴソゴソ」と誰かが布団に入る音が、

とても明確に、はっきりと聞こえてきた。

次いで、「ウウン」と喉を鳴らす音まではっきり聞こえる。

 

・・・この部屋の壁の薄さ、尋常じゃない…。

私は戦慄した。

おそらく、厚手のカーテンで仕切られた程度の防音にしかなっていない。

 

次いで、隣人が「カチッ」とベッドサイドの電気をつける音もした。

「コトッ」「ゴソゴソ」と何かを落として、拾う音もした。

どんだけ聞こえるんだ一体。

 

「姿は見えなくても、すぐ近くにあなたの存在を感じるよ。」

という、J-popの歌詞の一節か、霊媒師のセリフのような状況になった。

 

そして、最後に、隣人が

「ブッ」

と、おならをした。

 

それはもう、はっきりと聞こえた。

 

「お、おならした・・・!」

と、聞いている私が恥ずかしい気分になってきた。

 

そして、私も隣人も何も悪い事をしていないのに、なんでこんな気持ちになるんだろう。と切なくなった。

 

私は寝付きが悪いのだが、寝るとき、You Tubeで瞑想誘導を聞くと、すぐに眠りにつける事を発見して以来、よく聞いている。

でも、隣の部屋から、夜、瞑想誘導の怪しい音声が聞こえてきたら、どう思うか。

相当ヤバい人だと思われるだろう。私も気持ち悪いと思う。

隣人の心象が気になり、その日、瞑想誘導You Tubeは聞けなかった。

そして、そのせいでなかなか寝付けなかった。

 

翌朝も、隣人がゴソゴソする音で目覚めた。

心の中で、ひっそり「おはよう」と声をかけてみた。

家族みたい、とちょっと思った。

 

しかし、このままでは、瞑想誘導も聞けないし、顔も知らない人のおならも聞かないといけないし、もし隣人が恋人を連れこむと、行為も丸聞こえだし、

なにもないにしても存在を意識してしまうし…

と悩んだ末、角部屋にいた人が最近出ていったのを思い出し、

その部屋に移動させてくれ、と大家に交渉した。

 

大家はあっさりオッケーを出してくれたので、

今後も私のプライバシーは保たれることになり、とても安心しています。

 

 

 

海外在住3ヶ月の壁

ラオスに来て、100日が経過した。

 

私は、日数をカウントダウンするアプリを使い、様々な日数をカウントするという、意味のわからない嗜好を持っている。

日数を確認してどうこうするわけでもなく、ああ、〇〇日経ったんだなあ、とか、あのイベントまで後〇〇日だなあ、と思うだけなのだけれど、それが好きである。

 

ラオスに来てからのカウントダウンアプリで90日目あたり、私は体調を崩した。

体がだるく、何もする気が起きず、胃も重く、ラオス料理に一切食指が動かなくなった。

体の不調は精神にも影響し、どこにも出かけたくないし、誰にも会いたくない、何もしたくない。寝ていたい。と感じ、仕事以外は家で引きこもっていた。

 

その状態で1週間位が過ぎると、だんだん元気になってきたのだが、

そういえば他の国に住んでいたときも、だいたい住み始めて3ヶ月目くらいで、一度ダウンする時期があったような気がする。

 

1ヶ月目は、真新しい事が続き、目にするもの全てが驚きに満ち、ドキドキと希望に溢れ、日々がものすごい速さで駆け抜けていく。

2ヶ月目も、多少のことには慣れてくるが、まだ生活習慣は一定せず、新しい経験も多い。

そして、その2ヶ月の疲労が3ヶ月目に蓄積していき、90日目を迎える前後でダウンする、というメカニズムになっているのではないかと私は勝手に解釈している。

 

周りに聞き込みをしていたら、私と同時期にラオスに来た友人も、やはり私と同時期に「ダウン期」を迎えていた。

そして、2ヶ月前にラオスに来たばかりで、来たときは目をキラキラさせながら、

ラオス最高。ラオス大好き。ラオスに来れて本当によかった」

と言っていたヨーロッパ人も、最近元気がない。彼女のダウン期は、私のそれより早く来そうである。

私は彼女に、そのうちダウンする時期がくるよ。ヒヒヒ。と不吉な予言をしておいた。

 

海外生活だけでなく、社会人にも「5月病」というのがあるし、

恋愛や結婚生活においても「マンネリ」というのがあるし、

なにか新しい事を始めても、そのうち心身ともにだれる時期が来るのは避けられない気がする。

 

ネットを見たら、セーブしろだの、休めだのと無責任に書いてあるけど、

住んだことのない国に来れば希望を抱いて、色々と頑張ろう!という気になってしまい、新しく交際を始めれば、恋愛に浮かれてしまう、

それが人間つうもんじゃないか。

「そのうちマンネリしないように、セーブしなければ」と、ときめきを抑えながら過ごすのは、私には無理だと思う。

 

ということで、何にせよ中だるみの時期はどうしても避けられないものだと思うので、

そういう時期には、Netflixやアマゾンのプライムビデオなんかを味方につけてやっていくしかないのかな、と思っている。

 

 

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モラハラを受けた記憶

今でこそ「モラハラ」という言葉が完全に定着した感があるが、

ちょっと昔までは、そんな言葉は知られてなかった。

 

おそらく、年の差婚の、なんでもないことが幸せだと思っていた方々の離婚騒動からだ、この言葉をよく聞くようになったのは。

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モラハラ」についてだけど、

付き合っている当時はそうは思わなかったけど、今思えばあれはモラハラだったなあ、と思える元交際相手が、私にはいる。

 

大学生の時、当時社会人になったばかりの男性と付き合った。

学生の私は、彼の断定的なものの言い方を、大人だ、かっこいいと思って尊敬していた。無知だったなあ。

彼は、「最近の若い人は」とか、「俺もこの歳になるとさ〜」とよく言っていた気がする。そう言っている彼自身は、当時20代前半だった。

 

余談だけど、その後の人生経験からも、彼を始め自分を必要以上に大きく見せようとする男には、若いくせにこういう事をよく言う傾向にあると思う。

そして、おっさんになったら「若いやつには負けてられない」「俺もまだまだいける」とか言い出す。おっさんになりたいのか、若くなりたいのか謎である。

 

彼とはおそらく2年位付き合ったはずだが、付き合っていくうちに、彼はだんだん私の全てに対して批判をするようになり、

最終的には、私が相手の話をきちんと聞かなかった、とか、車の中でお菓子を食べて食べかすをこぼした、などという些細なことで揚げ足を取って、私が泣き出すまで、数時間説教される、という事が多くなった。

 

「俺はお前のためを思って言っているんだ。お前が世間知らずで他人に非常識だと思われないよう、俺が教えてやってるんだ」

「わかるか?お前は病気なんだ」

などと言われ、当時まだウブだった私は

「私が悪いんだ。私は病気で非常識でだめな人間なんだ」

と自分を責めて、鬱状態になってしまった。

 

しかし、私が教育実習で忙しくなるため、彼と一ヶ月くらい連絡を取らなくなった時、その呪縛が解けた。

 

あれ?私、何かラクだな、あのブタがいないと。怒鳴られないし、否定されないし・・・。

 

と思った。

彼は小太りだったので、私は心の中で、「ブタ」というニックネームをつけていた。私も私である。

 

そして、高校生たちは私の授業は面白いと言ってくれるし、

恩師にも誉めてもらえるし、おや?私、実はできる人間なんでない?

 

とも思った。

 

本来、かなりの自信家であった私は、そこからすぐに自分を取り戻し、

 

教育実習が終わる最終日に、見計らって電話をかけてきたブタに、

 

「ねえ、別れたいんだけど。」

 

と言った。彼からすると、手下に謀反されたような気分だったかもしれない。

 

彼は自尊心が強かったので、「別れたくない」とも言えなかったようで、

「わかった。どうせ他に男ができたんだろう」

とまた私を非難にかかった。私は

 

「ううん、他に男はいなくて、あなたが嫌になったんだよ。」

 

と言い、電話を切った。その後、彼の番号を着信拒否にした。

 その後彼とは一切連絡を取っていない。

 

その後何年も経ってからモラハラという言葉を知り、あああれはモラハラだったんだ、と腑に落ちた気分になった。

 

今となっては大昔の話なので、正直あまり覚えていないし、彼を恨んだり、憎んだりする気持ちは特にない。

 

しかし、「類は友を呼ぶ」という言葉の通り、当時の私の主体性のなさが、ああいう人との付き合いを引き寄せたのだろうと思っている。

 

当時の私は、あまり自信がなく、生活には不満だらけ。かといって自分で人生をどうにか切り開いていってやる、という根性もなかった。

そして、恋愛に現実逃避した。誰かに幸せにしてもらいたい、私のことを分かって欲しいと思っていた。

そういう、責任転嫁や自己憐憫な気持ちでいた結果が、彼との恋愛だったのだろう。

 

馬鹿だったと思うけれど、あれはあれで仕方なかったなあ、とも思っている。

 

今は、私はラオスで楽しく暮らしている。まあ、これもそういう時期があってこそである。

 当時の私に、「私は今35歳だけど、ラオスで幸せにやっているよ。頑張れ」

と言えるものなら言ってあげたい。

 

そして、自信がなくて、他人に幸せにしてもらいたいと思っている女子がいれば、

過去の私のようになるのが関の山だから、やめたほうがいいよ、と言いたい。

自信を持って、人生を切り開いたほうがよっぽど幸せになれるよ、と言いたい。

ラオスの運転事情

ブログをずっと放置していた。

 

なぜかというと、ラオスの日常があまりにも平和すぎて、特に面白いことも何もないからである。

私はラオスが好きだし、ラオスでの生活に満足していて、ラオスに来れてよかったなあ、と常々思っている。

しかし、ひとつだけ、不満がある。

ラオスでの運転事情である。

 

まず、運転しなくてもよいくらい交通が整っていれば一番いいのだけど、ラオスの公共交通機関はとても不便である。

選ばれた日本人は、会社が車とドライバーを付けてくれるそうだが、私には遠い夢のような話である。タクシーを乱用するのも結局金がかかる。

だから、私は中古車を前任者から購入し、怯えながら運転している。

 

 

ラオスは本当に平和な国だ。みんなちょっとぼーっとしている。

 

そこがいいなあと思うこともあるが、運転中はボーッとし過ぎなやつとか、

普段ボーッとしている癖に、前の車一台抜かすのに血眼になり、大変な危険行為に出るやつとかいる。

対向車線を使い、逆走して抜かす。とても危険。でも、そういうやつは大概、信号で結局追いつかれている。

そういうのを見るにつけ、あいつ命がけで抜かしたのに。ふふふ。とほくそ笑んでいる。

 

ラオスで運転していると、逆走は当たり前。すごい車線変更やすごい路上駐車もたくさん。

こちらではクラクションを鳴らすのはマナー違反らしく、(他に守るべきマナーがあるだろうが)

危ない割り込みをしてくる車が、音もなく急に現れる。

心臓に本当に悪い。クラクションを鳴らしっぱなしのベトナムのほうがまだいい気がする。

 

バイクの運転もかなり危険である。

バイクの運転手はよくスマホを見ながら運転している。

この間は、バックミラーの角度を変えて、自分の顔を見ながら運転している女子学生がいた。何がしたいんだ。

 

ぶったまげたのは、傘をさしながらバイクを運転する奴ら。

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この写真の道は空いているからいいけど、交通量の多い道で、雨の中、これをやる。

 

死にたいのかな、ラオス人。

 

ラオスでは、運転だけは本当にストレス。

私はビエンチャンで運転しているけど、地方にいけば、交通量も少なくなって、ましになるかもしれない。

 

始めてラオスで車を運転したときは、本当に死ぬ。。。と思い、

目的地(職場)にたどり着いても、手の震えと動機が止まらず、しばらく車から降りられなかった。

私も命を削って運転している。

 

しかし、運転し始めて3ヶ月近く経った今。

私もなかなか攻めた運転をするようになってきている。

そんな自分が怖い。しかも、私はクラクションを鳴らす。すぐ鳴らす。

 

日本でもう運転はできないかもしれない。

階下に住むウザいインド人

ラオスで今住んでいるアパートの下の階に、インド人が住んでいる。

 

「あのアパートにはひとり、ウザいインド人がいるから気をつけたほうがいい」

と、アパートを紹介してくれた前任者や、アパートに来たことがある同僚からも注意を受けていた。

 

その若いインド人男は確かに、私を初めて見かけたときから、

「ハローハロー アーユーニューテナント、ヒヤー?」

「ハローハロー ワッツヨアカントリー?」

と話しかけてきた。フレンドリーなやつだ。

 

そのインド人は、アパートのゲート前に置かれたベンチに座っていることが多く、ちょくちょく出会ってしまう。

そして会う度に話しかけられるが、

「相手にするとウザいことになるらしい」

と思い、かなり冷たい対応を心がけた。自分がちょっと嫌いになるくらい冷たかったと思う。

 

しかし先日、もうすぐアパートを出ることにしたので、なんとなく

「このインド人にも二度と会わないだろうから、一度ウザさを味わってみようかな」

と思って、話してみることにした。

 

「仕事何してるの?」と聞くと、

 

「俺、俺の仕事聞いちゃう?実は、ゴールドを売っているんだ。

 俺はまだ24だけど、ラオスでは、俺を頼ってくる政治家や官僚だらけで、

 街を歩けばいろんな人に声をかけられてVIP待遇だから、疲れちゃうよ。

 なんていうか、俺はここで帝国を築いたんだよね。俺はエンペラーなわけ。」

 

と、実にわかりやすくウザい答えが返ってきた。

ちなみに、このアパートは古くてよくゴキブリが出る。そして彼は他のインド人とシェアして住んでいる。エンペラーの定義とは一体。

 

その後も彼からは、

 

「世の中には才能に恵まれた事を隠そうとしても隠せないような人物がいるんだ。

 それが俺なんだけど。困っちゃうよね。ハハ。」

 

「俺って、パーティー男だから、ラオスは本当につまらないよ。

 俺が一番似合う街ってどこだと思う?…それはラスベガスさ!」

 

「こんな俺を女は放っておかないんだけど、金目当てで来る女ばかりで嫌になる。

 俺は愛を求めているのに」

 

などと、本当にわかりやすくウザいな、としか思えないセリフがどんどん出てきた。

「よくもまあここまで自信家になれたもんだ」

と感心してしまい、彼の発言に爆笑していた私だが、

 

「で、ところで君何歳?32くらい?」

 

と、微妙な気持ちになる年齢の推測をされ、やっぱりこの人は嫌いだ、と思った。

 

もう彼には二度と話しかけないでおこう、と思っている。

ビエンチャンで瞑想会に行った話

ラオスの首都、ビエンチャンに来てから一ヶ月近く経とうとしている。

 

ラオスに来たのを機に、ラオス情報を発信するブログにしようかとも思ったのだけど、

特段発信するほどの情報のある街ではない。

世界一なにもない首都と言われているのもなるほど納得だな、と感じている。

 

だから今後は、日常をダラダラと暇な時に書いていこうと思う。

 

 

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瞑想会に参加したこと

「Meditation Class」

というのを数日前、ラオス情報のFacebookページで発見した。

9月14日は満月なので、瞑想会を行うそうだ。

イベント投稿者の写真を見ると、どう見てもインド人だった。美人のインド人。

インド人の行う瞑想クラスは、さぞかし本格的なんだろうと思い、参加することに。

 

以前、シンガポールのジムでも瞑想クラスがあり、インド人の先導のもと、呼吸法と瞑想を習ったことがあったので、似たようなことをするのだろうと思っていたら、全く違っていた。

 

場所は、狭い部屋だった。参加者は私を含めて4名。少ない。

インド人は、私達参加者を座らせ、まず、紙に「あなたが許したいけれどまだ許せていない人と、感謝を感じていることを書け」と言ってきた。

 

私は、許したいのに許せない人なんて特にいないので、困惑した。

どうしよう。許したい人、いない。

しかたないので、日本語で

「許したい人は特にいない。両親に感謝」

と書いたが、かなり恥ずかしい気持ちになった。私はもうすぐ35歳になるというのに、何をしているのか。

 

 

その後、瞑想の時間が始まった。

シンガポールでは、瞑想中は「呼吸に集中して、何も考えない」と言われていたのに、

この瞑想では、インド人のガイダンスがついていた。

ガイダンスに沿ってイメージしなければならない。

 

その内容をかいつまんで言うと、

金色のドアを開けたら庭が広がっている。そこで月の女神に出会って、女神からメッセージをもらう、というものだ。

 

そのガイダンスが終わると、インド人は私達ひとりひとりに、

女神からもらったメッセージを紙に書け、と言った。

 

私は女神にも会えてないし、メッセージもらえてないので、また日本語で

「メッセージはもらえなかった」

と書いた。

もうこの頃になると、早く帰りたいな、と思っていた。

 

その後、似たような瞑想をまた行い、インド人に4万キープ(500円位)払い、瞑想会は終わった。

 

得られるものはなにもないイベントだった。

今度からは、瞑想は自分の部屋で、呼吸に集中する方式でやりたいと思う。

 

 

初めてメイド喫茶に行った思い出(後半)

やはり私の性格上、ブログをこまめに更新するという事ができません。

 

それと、今までは色々と文字を大文字にしたり、太くしたりと工夫をしていましたが、

やはりものすごく時間がかかるので、やめます…。

 

ブログを毎日のように更新していて、Twitterとかも色々書いていて、

自分は金持ちで起業家だと言っている人っていますけど、

嘘だと思うんですよね。

 

起業家や実業家で忙しいとブログどころではなくなるはず。

 

だからああいう類の人は、

 

①本当は起業家とか実業家とかリーマンではなく、ニートか何か

ゴーストライターを雇っている

③超人的にタイムマネジメントができる

④3時間くらいしか寝なくていい人

 

のどれかしかありえないと思うし、ほぼ①だと思っています。

 

ちなみに、私は起業家でもないくせに時間の管理ができず、

ブログを書くのにも時間がかかり、かつ1日8時間くらい寝たいです。

ですので、①にすら及んでいません。

 

 

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メイド喫茶に行った思い出を書くんでしたね。忘れていました。

 

 

前回、メイド喫茶に行く事になった経緯を書きました。

 

その後、友人K(男・既婚・不倫関係ではない)と地下鉄に乗って、メイド喫茶に移動しました。

 

友人Kは、地下鉄の中で、

 

「はじめてキャバクラに行ったときのドキドキを思い出した」

 

と言っていました。

私はキャバクラに行ったことはないけど、昔、水商売をしている先輩に、先輩の彼氏が勤めているというボーイズバーに連れて行ってもらったことがあります。

バーカウンターの向こうに、前髪が異常に長い若い男性がたくさんいました。

前髪男たちの、あなたは脳みそ使ったことあるのか?と聞きたくなるような話題にも、酒を飲む時のすっとんきょうな掛け声にも私は乗り切れず、

ワニワニパニックしよーよー負けたら一気飲み!」

と言われて、したくない、と断り、私の前にはとうとう誰ひとり付いてくれなくなりました。

横では先輩が、彼氏に絡みまくる若い女性客をずっと睨みつけていました。

 

 

あ、書くのはボーイズバーでなく、メイド喫茶の話でした。

 

 

その後、友人Kと「@ほぉ〜むカフェ」に到着しました。

 

なんと、ビルの3階から7階か8階くらいまで、まるまる全部メイド喫茶という建物でした。

どこがどう違うのかよく分かりませんが、とりあえず、一番上に行ってみました。

 

すると、オタクっぽい人たちが多数、順番待ちをしていました。

 

ご主人様がメイドのために順番を待つって立場逆転してんじゃん、と思いました。

 

もしかしたら、上の階に行くほど人気があるんじゃない?とKと話し、

一番下層階である3階に行ってみました。

 

エレベーターが開いても、メイドは私達に気づかず、おしゃべりに興じていました。

やはり上層階のほうがメイドの質が…(自粛)

 

まあでも、メイドの順番待ちをするよりはマシ、と思い、そのまま3階に入りました。

メイドが私達にやっと気づき、店の注意事項のようなものを確認し、

「ご主人様、お嬢様のお帰りですー」

と、席まで案内してくれます。

 

店の注意事項に、

「ただいま、とメイドに声をかけてください。大変喜びます」

とあったので、喜んでもらおうと思い、おそるおそる

「た、ただいま…。」

と言ってみましたが、無表情でスルーされました。

少なくとも喜んではいませんでした。私は悲しかったです。

 

 

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↑この写真の店内に、私達の他には、明らかに観光で来た外国人女性2人組と、

1人で来ている、秋葉原が似合う男性客が3〜4名(絶対常連)、

スーツ姿のサラリーマン3人組くらいでした。

7階の盛況っぷりとはえらい違い…。

 

その後メイドにビールを頼もうとすると、

もうすぐお楽しみ会が始まるから、それまで注文は待て、と言われました。

 

メイドにビールのおあずけを食らうお嬢様の私。

 

友人Kは、

「う○こがしたい」

といきなりメイドに言い、

「お花畑はあちらです」

と案内されていました。

 

どうも、トイレのことをお花畑と言うようです。知りませんでした。

 

その後、私のビールがお預けのまま、舞台の緞帳が開き、お楽しみ会が始まりました。

 

お楽しみ会の内容は、じゃんけん大会でした。

モエモエじゃんけん、じゃんけんぽん!という掛け声に合わせてじゃんけんをし、

最後まで勝ち残った人は、メイド全員と写真が撮れるというイベント。

ボルテージが高まっている一人客たち(絶対常連)。

意味がわかっていない様子の外国人客。

 

そのままじゃんけん大会は敢行され、何と私は2回連続で勝ち進んでしまいました。

 

そもそも客が少ないので、2回勝った時点で、勝ち残ったのは、

私と気の弱そうな男性(絶対常連)の2人。

 

決勝はこの2人で、舞台上でじゃんけんをしてもらいます!とメイドに言われ、

舞台に上がった私。

 

ノリノリで舞台に笑顔で立った私が見たものは、

 常連のオタク達からの恨みがましい目線でした。

 

こえー!!!!!!!!

 

 

まあ、普段から通いつめて、写真撮るだけでも600円とか800円とか払って、

メイドが好きで好きで、時間もお金もかけているんでしょうから、

どう見ても冷やかしで来た私が、勝ち進むのが憎たらしいんでしょう。

 

その気持はわかりますが、

 

いくらなんでも大人げないな。。。と呆れました。

というか、怖い。メイド喫茶常連からの睨み、怖い。

 

決勝に向けて意気込みを!とメイドMCに促されて、盛り上げようと

 

「ぜったいに勝ちます!!」

 

と言っても、

 白けきった空気の中、常連から睨みつけられるだけの私。

唯一、笑顔を向けてくれるのは、外国人の女性二人。

(しかし意味は分かっていない)

 

対戦相手の男性は、

「あ、あの、えっと、頑張ります…」

と弱々しく言っていました。

 

その後、私が決勝で勝ってしまったんですが、

まーあ、勝った時も、メイド全員とチェキを撮っている時も、

場の空気の寒いこと寒いこと。

めちゃくちゃ睨まれました。こえええええええええ!!!

 

でも、メイドと一緒に写真を撮れて、とても嬉しかったです。

メイド喫茶を紹介してくれた、信頼できる友人にも写真を送ったら、

「よかったね!いい思い出になったね!」

と、喜んでくれました。

にらみつける常連客とは大違いだ、と思いました。

 

その後やっとビールを飲みましたが、

あまり酒を飲むような場所ではないね、と友人Kと話し、

メイド喫茶を後にして、別の店で飲み直しました。

 

はじめてのメイド喫茶体験、実に面白かったです。

 

次は、友人Kを誘って、預言カフェに行ってみたいと思っています。